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001アンコールワット遺跡観光 アーカイブ

2007年06月07日

アンコール・ワット

アンコールワット
中庭左の聖池から望む

クメール語で『寺院(によって造られた)町』を意味するアンコール・ワットはクメールの輝かしい時代を創り上げた、スールヤヴァルマン2世によって1013年から1052年の間の約30年間の歳月をかけて建立されたといわれる、アンコール遺跡を代表する寺院です。アンコール・ワットは同王が篤信していたヒンズー教のヴィシュヌ神に世界最大の寺院を捧げる為、また王の死後の墳墓寺院とする為に西方浄土を拝するようアンコール遺跡の中では唯一西向き(他の遺跡は殆ど東向き)に建てられています。
※午前中は写真撮影の際、逆光になりますので、アンコール・ワット観光は午後が最適です。

一般的な観光ルートは、西正面参道からアンコール・ワットを取り巻く幅190mの環濠を超え西塔門へ。西塔門南側の通称「臣下の門」内にある高さ4mのビシュヌ神像をご覧頂いた後、塔門から中庭へ。正面に中央神殿を見据え、左右にある経蔵や聖池を眺めながら本殿に続く西参道を進み、西参道テラスを経て第1回廊へ。ここからここから壮大なアンコールの絵巻物語が始まります。西面南側にある古代インドの大叙事詩「マハーラバータ」のクライマックスの場面を皮切りに、スーリアヴァルマン2世の偉業を讃える。

女神デヴァターの浮き彫り
女神デヴァターの浮き彫り
「王の回廊」、「天国と地獄」、ヒンズー教の天地創造神話「乳海攪拌」へと、時計と反対回り(左回り)に進んでいきます。次に十字中回廊、第2回廊を経て、中央神殿前へ。ここでしばらくご休憩頂いた後、希望者のみ高さ13mの急な階段を登って第3回廊のある中央神殿へ。

アンコール・ワットの見どころは、第1回廊壁面の浮き彫りの他に、柱や破風、格子窓に残された装飾や彫刻、特に美しい衣裳に身を包み、引き締まった肢体と花枝をかざしたデヴァダーと呼ばれる女神の端麗な容姿は、図像学的にもクメール独特のものといわれ評価も高く、必見です。
第1回廊西面南側・マハーラバータのレリーフ
第1回廊西面南側・マハーラバータのレリーフ

【 第1回廊(200×180m)のレリーフ概要 】
西面南側:「マハーラバータ」―北インドの王族同士の物語
南面西側:「王の回廊」―スールヤヴァルマン2世の偉業を讃える
南面東側:「天国と地獄」―ヒンズー教神話から取材
東面南側:「乳海攪拌」―ヒンズー教の天地創造神話
東面北側: ヴィシュヌ神と魔族の戦い
北面東側:「ハリバンシャ物語」ー叙事詩マハーラバー付編
北面南側: 神々と阿修羅の戦い
西面北側:「ラーマヤナ物語」―ラーマ軍が悪魔を退治場面

2007年06月08日

アンコール・トム遺跡群 (ANGKOR THOM) 1

12世紀末から13世紀初にかけて、ジャヤヴァルマン7世によって造営された、クメール語で「大きな町」を意味する、一辺3km、周囲12平方kmの大規模な宗教都城。5つの城門をもつ高さ8mの城壁に囲まれた城内には観世音菩薩をまつる大アンコールの中心寺院バイヨンを始めバプーオン寺院、ピミヤナカス宮殿、王宮、象のテラス、癩王のテラス、プラッサット・スウル・プラット、他多数の寺院や祠堂があります。
アンコール・トムが造られたこの時代は、アンコール王朝の勢力が最高潮に達し、文化的にも爛熱を見せた時代で城門やバイヨン寺院に見られる神秘的な微笑みを称える四面仏顔塔はクメール独特の様式です。

アンコール・トム南大門
アンコール・トム南大門
アンコール・トムの城壁にある5城門(東に2つ、西、南、北に各1つ)の中で、この南大門は欄干部分の修復保存が一番進んでおり、アンコール・トム遺跡の観光では最初に訪れる所です。城門入口の幅130mの環濠に架かる橋の両端には、ナーガと呼ばれる7つの頭の神蛇の胴体を抱えて綱引きをする神々と阿修羅の巨像がそれぞれ54体づつ並べられ、欄干の役割を果たしています。これはヒンズー教の世界創造神話「乳海攪拌」の物語をモチーフにしたものです。また高さ23mの城門上部には、巨大な蓮の王冠を頂く四面観世音菩薩が四面観世音菩薩が四方を見下ろし、城門の両脇四隅には3つの頭をもつ神象と合掌した天女達が彫刻されています。

バイヨン中央テラス・観世音菩薩
バイヨン中央テラス・観世音菩薩

バイヨン第1回廊・行軍の様子を描いた浮き彫り
バイヨン第1回廊・行軍の様子を描いた浮き彫り

12世紀末、熱心な大乗仏教徒であったジャヤヴァルマン7世により建立された、アンコール都城の中心寺院で東西南北各城門から約1.5kmのところに位置しています。東正面入口の小道を行くと2つある東城門の1つ「死者の門」に通じており、隣国チャンパやシャムとの戦争により命を落とした勇者をここからバイヨン寺院へ運び、菩提を弔ったといわれています。「クメールの微笑」と呼ばれる穏やかな微笑みを称える観世音菩薩の尊顔が四面に刻まれている塔が林立していることで有名で、仏顔が四方を向いているのは仏の慈悲が世界にあまねく行き届くようにと願いをこめて、と言われています。ここでは、第1回廊壁面にあるクメール軍の行軍の様子や当時の貴族や庶民の生活の様子を生き生きと描いたレリーフ、現在全部で54基、117面あるといわれる四面仏顔塔などをご覧頂きます。

アンコール・トム 2 遺跡群 <癩王のテラスなど>

癩王のテラス (TERRACE OF LEPER KING)
象のテラスの北側にある、高さ6mのテラス。壁面には余すところなく美しい女神や神々が厚肉彫りで彫刻されています。これは世界の中心にあるといわれる須彌山の何段もの層に住む神々や動物などを具象化したもので、テラス上部には、癩王の像といわれる彫像(複製品)が置かれています。(オリジナルはプノンペンの国立博物館に展示)この癩王像のモデルについては、ヤショウヴァルマン1世とも地獄の神ダルマラージャ(閻魔大王)とも、マハーデーヴァ(最高神)ともいわれ諸説は様々ですが定説はありません。小説家三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」では、この像のモデルをこのテラスを造ったジャヤヴァルマン7世としています。
癩王のテラス・南面
癩王のテラス・南面


プラサット・スウル・プラット (PRASAT SOUR PRAT)
象のテラスからのプラサット・スウル・プラット
象のテラスからのプラサット・スウル・プラット
王宮前広場の象のテラスに向かい合ってラテライトを積み上げた塔があります。テラス中央部から勝利の門へ通じる道を対称軸として南北に各6基ずつ、計12基あるこの塔がプラサット・スウル・プラット通称「綱渡りの踊り子の塔」です。この名の由来はカンボジア正月に塔から塔に綱を渡し踊り子達に綱渡りをさせたのを王がテラスから見物したためといわれています。またこの塔の両端裏にクリヤン(倉庫)と呼ばれる建物があります。これらは、南北対称に位置しそれぞれ北クリヤン、南クリヤンと呼ばれています。現在、プラサットスウプラットは日本政府アンコール遺跡救済チームにより修復工事がおこなわれています。


テップ・プラナム (TEP PRANAM)
癩王のテラスを少し北に行ったところに、西に入るテラスの参道があります。 左右にシンハ (獅子) が配された中に進むと、神蛇ナーガの欄干が点在するテラスに達します。現在は、台座以外はなにも残されておらず、後世になって持ち込まれた仏象があるだけで、訪もれる人も少ない寺院です。


プリヤ・パリライ (PREAH PALILAY)
テップ・プラナムの奥の道をたどる神蛇ナーガの欄干が2重に取り付けられたテラスに出ます。正面に高さ約3mの大仏象があります。 その後方には大門があり、上部には美しい彫刻が残っています。


プリヤ・ピトウ (PREAH PITHU)
テップ・プラナムのちょうど反対側にある遺跡。プリヤ・ピトウは2つのテラスと5つの聖殿からなり、第1の聖殿は向かって右側の北クリヤンに最も近い建物で、この聖殿の手前には砂岩で出来たテラスが設けられています。

2007年06月13日

アンコール・トム遺跡群3<バプーオン/象のテラス/ピミヤナカス>

バプーオン (BAPHUON)
バプーオン・東正面
バプーオン・東正面

11世紀中頃、ウダヤーディチヤバルマン2世によって建立された、第3次アンコール都城の中心寺院。クメール語で「隠し子」という意味を持つこの寺院は、ヒンズ-教と仏教徒の度重なる創造破壊の嵐に巻き込まれて荒廃したといわれています。バイヨンから王宮へ向かう途中にある小さな独立したテラスにあがると正面奥に高さ24mのピラミッド型の本殿があり、その本殿とテラスを結ぶ形で、高さ1mの美しい円柱に支えられた約200mの参道が架けられています。現在、フランス政府の援助により本殿部分の大規模な修復工事が進められている為、残念ながら本殿内の観光は出来ませんが、ここでは本殿を眺めながら空中参道をゆっくり散策して頂きます。

象のテラス (TERRACE OF ELEPHATS)
象のテラス・側面
象のテラス・側面

王宮前広場に面した、高さ3.5-4m、長さ350mのテラスがあり、テラスの壁一面に象の彫刻がほどこされているところから、象のテラスと呼ばれています。テラスの欄干には7つ頭の神蛇ナーガが装飾され、テラス中央部には3つの階段が設けられており、ここはビシュヌ神が乗る神鳥ガルーダの像が刻まれています。このテラスを造ったジャヤヴァルマン7世はかつて、このテラスの中央部に立ち、凱旋する最強のクメール軍団を迎えたり、戦地に赴く軍を閲兵したといわれ、神王思想に基づき偉大なる王が力を発揮した姿が偲ばれます。この中央テラス前の小道を東へ進むと2つある東城門の1つ「勝利の門」に通じます。

ピミヤナカス宮殿 (PHIMEANAKAS)
ピミヤナカス宮殿・東正面
ピミヤナカス宮殿・東正面

10世紀末―11世紀初にかけて、ラージェンドラヴァルマン2世によって建立されたピラミッド型の中心宮殿「天上の宮殿」を意味するピミヤナカス宮殿は、王宮の中心に位置し、紅土石(ラテライト)を3層に積み上げて築かれています。宇宙支配神が座すと信じられている。須彌山を象徴した宮殿を王宮内に建立しここで王の神格化の儀式が行われたことは、国家を支配するもの、すなわち王は神であるという神王思想を表しています。この思想を国家支配に利用していた為、この宮殿は何代もの王によって保護されたといわれています。ここでは、王宮内の小径を散策しながら、ピミアナカス宮殿の他、男池、女池と呼ばれる2つの沐浴場をご覧頂きます。

2007年06月15日

クバル・スピアン (KBAL SPEAN)

クバル・スピアンはバンテアイ・スレイ遺跡から15km北東に位置するジャングルに眠る遺跡で、カンボジア語では「川の源流」という意味がございます。クーレン山の山頂から流れる川底には約200mにもわたってヒンズー教の神々などの彫刻が施されています。川底や周囲の巨大な砂岩には1辺2mの巨大なヨニ(女性器の象徴)や、「千本リンガ」とよばれる男性器の象徴を模した彫刻が散在しており、特にヒンズーの神々の法力ともいわれる千本リンガは、前述のプノン・クーレンのそれとも表現方法が違い一見の価値がある。彫刻が散在する遺跡へ続く道はアップダウンの激しい山道となっており、山登りさながらのところもありますが、河底に彫られた神々の彫刻群を川の流れとともに見られる冒険的なおもしろさがあり、最近注目をあび始めている遺跡のひとつである。


河岸に彫られた神々の彫刻群
河岸に彫られた神々の彫刻群


河底に眠る聖なるリンガ
河底に眠る聖なるリンガ

2007年06月18日

コーケー ( KOR KER )

シェムリアップから北東へ直線距離で約100キロ、僻地にある巨大遺跡群である。
928年、ジャヤバルマン4世は王都をアンコールからコーケーに移した。コーケーには国家寺院としてプラサット・トムが築かれ、また多数の寺院や貯水池が築かれた。しかし、ジャヤバルマン4世が941年に没すると、ラージェンドラバルマン2世の時代(944年)には都はアンコール地方に再び遷都され、コーケーはわずか20年間で放棄されることになった。
 
コーケーの最大の見所は巨大な(高さ35メートル)7層のピラミッド型遺跡プラサット・トムで、頂上からは360度の大パノラマが広がる。北にはタイ国境のダンレック山脈、南西にはシェムリアップ近郊のクーレン山まで見渡すことができる。コーケー遺跡群には40以上の寺院が残っているが、修復は殆どされておらず手付かずのまま残されている。
メインの遺跡はプラサット・トム、プラサット・リンガ、プラサット・クマウ、プラサット・プラムなど。


プラサット・トム
プラサット・トム
急なハシゴを登る

プラサット・リンガ
プラサット・リンガ


プラサット・クマウ
プラサット・クマウ

プラサット・トム内
プラサット・トム内

2007年06月19日

バンティアイ・サムレ ( BANTEAY SAMRE )

アンコール・ワットから東へ約19km(車で約30分)のところに位置。クメール語で「サムレ族の砦」を意味するこの寺院は、高さ6mのラテライトの周壁に囲まれ、その外観はまさに砦を彷彿とさせます。中央祠堂や回廊、経蔵にはシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの3大神とラーマヤナ物語が彫刻されており、壁面や柱に残る唐草模様や神蛇ナーガの美しい欄干など風化は進んでいますが優れた彫刻が豊富です。

バンティアイ・サムレ中央神殿
バンティアイ・サムレ中央神殿

ラーマヤナのレリーフ
ラーマヤナのレリーフ

2007年06月25日

スラ・スラン ( SRAH SRANG )

聖地スラ・スラン
池の意味で、東西約700m南北300mの静かな聖地。
その昔、この聖池の中心には小祠堂が建立され、王が舟で参詣したと言われています。しかし、ポル・ポト時代に水田に改修するために、小祠堂は破壊され姿を消したままとなっています。

バンテアイ・クデイ ( BANTEAY KDEI )

バンテアイ・クデイ 東正面テラス

スラ・スランと道を隔てた反対側(西側)に、バンテアイクデイの東正門があります。ジャヤバルマン7世によって建立されたこの僧院は、ヒンズー教の寺院を仏教寺院に改造したもので混交並存の様式となっています。建設技法の稚拙さと砂岩の中でも特に風化作用に弱い材質のものを使用しているため、回廊や祠堂の屋根は殆ど崩れ落ち、崩壊が進んでいます。
上智大学の国際遺跡調査団がカンボジア人学生の教育研修と調査研究の対象としています。

プラサット・クラヴァン ( PRSAT KRAVAN )

プラサット・クラヴァン、東正面

921年、ハルシャヴァルマン1世により建立された煉瓦造りの5基の祠堂を持つ平面型の小神殿。この小さな神殿はヴィシュヌ神を祭ったもので、中央祠堂の壁面の煉瓦に直接彫られた、ヴィシュヌ神やヴィシュヌ神の妃ラクシュミー(ヒンズー教の美の女神)の浮き彫りは特に素晴らしいものとなっています。1964年にフランス極東学院によって修復されました。

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